落合博満を好きな理由



つい先日、念願叶って和歌山県太地町の落合博満記念館を訪れました。


僕は落合さんの大ファンなのです。


選手としても監督としても素晴らしい実績を持つ落合さんですが、実はファンになったのはそんなに昔のことではありません。

大学で経済学を学び、落合さんの考え方が非常に合理的だということが理解できるようになったことがそのきっかけでした。

つまり、落合さんの経済学的思考に共感したためです。


今回は、落合さんの名言から、その経済学的思考について考察してみます。



「うちは補強はしません。今の戦力なら10%の底上げで十分優勝する力を持っている。」


まずは2004年の監督就任インタビューでの一言ですが、この一言に落合さんの考え方の全てが凝縮されているような気がします。


①勝利・優勝という目標に対して、一貫して効率的・効果的な戦略を用いる。

②選手のことを深く理解し、信頼する。


まさしくこれらは経済学(行動経済学)の考え方と一致します。


効率的な資源配分の追求とその選択に関する学問が経済学であり、落合さんの采配や指導は、今ある資源(選手)を効率的に運用することで、利潤(勝利)を最大化するという経済学のセオリー通りのものなのです。

そして、それを実行する上で資源である選手という生身の人間に対し、どのように接すれば選手の内発的動機づけを促せるか―生産性をより向上させられるか―を考えています。

それはこの一言にも表れています。


「(その言葉が)その選手にとってプラスになるものなのか?マイナスになるものなのか?自分の感情だけで絶対に喋ってはいけない。」


監督に限りませんが、力のある人間の言葉は容易に人々の生産性に影響を与えます。

感情の赴くままにそういった人間が言葉を発することは、時として非常に大きな問題になりかねません。

ましてや、プロ野球選手の場合は長いシーズンを戦いますから、精神的な問題が成績に影響を与えるということは少なくありません。

落合さんは選手のことを深く理解し、信頼しています。


(英智選手の日本シリーズでの落球について)
「あいつが捕れないなら誰も捕れないさ。」


監督によってはミスを責めるということもあるでしょう。むしろ今の日本のスポーツ界(特に部活動)では、その方が多いかもしれません。

しかし、落合さんのこの言葉からは英智選手に対する強い信頼が感じられますし、落合さんは自らが責めずとも、ミスをした英智選手自身が一番自分を責めていることを分かっているのだと思います。

科学的にも根拠がありますが、鉄拳制裁などの強制手段では、人々は本来の力を出し切れません。
このミスに対する落合さんの一言は、将来(次の試合)を視野にいれた最高の声のかけ方だと思います。


「勝つことが最大のファンサービス。」


また落合さんは、単調で面白くない野球と言われようが勝利を最優先していました。
なぜなら、ファンにとっては試合に負けることが一番つまらないことだと思っていたからです。

落合さんのこのやり方には否定的な意見もありましたが、長期的に見ればゲーム理論から他球団も同じ戦略を取り、今以上に高いレベルでの競争が生まれることによって、日本プロ野球界の底上げに繋がるのではないかと考えられます。


落合さんは常に長期的に物を考え、優勝という目標に対して効率的に行動します。

まさに経済学における利潤の最大化であると言えます。


途上国の農村開発の分野においても、その村自体が持つ自然や人材、または人々の結び付きなどに注目し、外からの援助に頼るのではなく、元から持っているものを改善して発展していくということは非常に重要です。

いわゆる戦後日本の生活改善運動と同じことです。

これらの取組みは中南米等で再評価され、女性の社会進出などにも貢献しています。


畑は違えど、落合さんは”発展(成長)”とは何なのか、またどのようにそれを手助けできるのかについて分かっていたのでしょう。

現在の開発において必要とされているのは、巨額の資金援助や意味の無いプロジェクトなどではなく、落合さんのように現場をしっかりと理解し、効率的なちょっとした手助けなのです。

続・宅飲みは割り勘にするのが吉



ブログの機能で便利なのは、どの投稿が人気なのか、その投稿の表示回数によって分かるようになっているところです。

さらに、検索エンジンを使った場合、どのように検索されて投稿に辿り着いたかも分かるようになっています。


それらの機能の良いところは、読んでくれた人と発信する側の双方向的なコミュニケーションが可能になるという点です。

発信する側としては、何か目的があって投稿に目を通してくれたのかということが分かりますし、それに対して、さらなる投稿を通じてリアクションすることができます。


そして現在、断トツで人気のある投稿が、「鳥飼誠一の正義論」「宅飲みは割り勘にするのが吉」の2つです。

「鳥飼誠一の正義論」の方は、言うまでもなく踊る大捜査線効果です。当たり前なのですが、すごいですね。
機会があれば、さらに詳しく考察したいと思います。


そして、「宅飲みは割り勘にするのが吉」の方はと言うと、「割り勘の非効率性 経済学」という風に検索されているようです。

どうやら、大学のテストか何かで割り勘の非効率性を経済学的議論によって解かなければならないようです。


これこそ双方向的なコミュニケーションのチャンスです。

グーグル先生に尋ねた結果僕の投稿に辿り着き、割り勘の非効率性について知りたいのに、割り勘にした方が良いなどと書かれていて混乱してしまうかもしれません。


そこで今回は、「割り勘が非効率であることを説明せよ」という問題に対しての経済学における回答を記しておきたいと思います。


まず最初に断っておくべきことは、僕の割り勘が吉という主張は、”宅飲み”という特殊な状況から述べられているということです。

そのため、心理学の要素を加味した行動経済学の分析を行うと、”宅飲み”においては割り勘すべし、となったということです。


では本題に入ります。


この問題を解く為には、ミクロ経済学のゲーム理論を用いなければなりません。

割り勘という状況はまさに”共有地の悲劇(The Tragedy of the Commons)”であると考えられます。

つまり、全員が自己の利益を追及した結果、全員にとって不利益な結果を生んでしまう、というケースであるということです。

割り勘ということで一人一人は料金が抑えられると思って、各々が過剰に注文してしまい、その結果、合計料金が意外にも高くなってしまった、ということはないでしょうか。

まさにこの状況が非効率であるということです。


また、割り勘の相手が”親しい友人”か”この先会うこともない人”かでどのような違いがあるでしょうか?


”親しい友人”はゲーム理論で言う”繰り返しゲーム”、”この先会うこともない人”は”1回限りのゲーム”ということです。

これらの違いは”囚人のジレンマ(Prisoner's Dilemma)”によって説明されます(以下図)。


”1回限りのゲーム”、つまり”この先会うこともない人”ならば、お互いにとって取るべき戦略は”裏切り”、ここでは好きな物を注文しまくるということになります。

それが、”親しい友人”の場合は”繰り返しゲーム”ということになりますから、左図のような利得表も配点が変更され、お互いにとって”裏切り”は最適な戦略ではなくります。

ここではお互いセーブして注文するというのが良い戦略ということになります。


以上が経済学に則った、割り勘が非効率であることの回答です。


簡単にまとめると、

①割り勘という状況は”共有地の悲劇”であり、各人が自己の利益を追及した結果、全員にとって不利益な結果を生んでしまう。つまり、割り勘ということで一人一人は料金が抑えられると思って、各々が過剰に注文してしまい、その結果、合計料金が高くなってしまう。

②”親しい友人”と”この先会うこともない人”の違いは、”囚人のジレンマ”構造における、”繰り返しゲーム”と”1回限りのゲーム”の違いであり、前者の場合、協調すること(注文を抑える)が最適戦略になり、後者の場合、裏切り(注文する)が最適戦略になる。


前回の「宅飲みは割り勘にするのが吉」との違いは分かって頂けたでしょうか?


”宅飲み”という特殊な条件の下においても、確かに買い出し時に安上がりを見越して高い物を買ってしまったり、量を買いすぎたりするでしょう。

しかし、僕が主張したのは、元来”宅飲み”は安上がりなので、そのような結果(非効率)を伴った場合、傾斜的な支払いをすべきではないということです。

心理学的な要素を加えると、非効率に対してさらに不平等感という非効率を加えてしまうことになりかねない、ということです。

つまり、”元来安上がりである”というところがポイントということです。


今回のように、たまには(勝手に)リアクションを伴った投稿ができればと思います。

割り勘の非効率性は定期的に検索されているようなので、今回の投稿が未だ見ぬ誰かの役に立つこと、それから日常生活に役立つ経済学に興味を持ってくれることを願います。

「30分遅れます」は何分待つの?経済学




趣味の読書ですが、基本的には自分の専門や関連する分野の本を読みます。

しかし、難しい専門書や分厚い本ばかり読んでいると疲れてしまうので、休憩がてらあまり専門とは関係の無いものや単純に興味を持った本(だいたい薄くてすぐ読めるもの)も読みます。


最近で言えば、前回の書評の『論理が伝わる世界標準の「書く技術」』や、有名なお坊さんの自己啓発本などを読みました。

ということで今回は、先日読み終えたばかりのこの一冊を紹介したいと思います。


佐々木一寿『「30分遅れます」は何分待つの?経済学』日本経済新聞出版社、2012年。


タイトルから分かるように、日常生活中における経済学的な事例を平易に説明したもので、古典的なものから比較的最新の経済学まで、そのエッセンスを感じることができます。

僕自身、以前の投稿で日常生活における便利な経済学について書いていたので、このような類の本は好みで、気になっていました。

本書にもある通り内容はかなりザックリしているので、経済学の入門書というよりは読み物と捉えて読む方が好ましいと思います。


そのためか、眉唾物な(僕には理解することができなかった)個所が見られました。

本書のタイトルにも使用されている、”「30分遅れます」と連絡が入った時、こちらは何分待つ準備をするべきか”という時間管理の問題に対して、著者は”乗数効果”によってその時間が割り出せるとしています。

乗数効果の説明を本書から引用すると、


乗数効果とは、ある需要に対して投資した時に、その投資額のウン倍もの効果を生み出すというマクロ経済的な現象が一例としてあります。


この乗数効果のメカニズムが時間管理にも応用できるとしています。


本書の例を引き合いに出すと、蕎麦屋の出前で、60分間の見込みで「あと30分」という時、実際の所要時間は乗数効果を用いると、

60+30+15+7.5+3.75+・・・・・60×0.5^n で、120分という答えが出ます。

すでに過ぎた60分を引くと残り60分で、つまり「あと30分」という時は、60分の時間がかかるということです。

この一例を見ただけでも、若干の違和感を感じます。
(60分の見込みであと30分と言って、60分も遅れてくる蕎麦屋など見たことがありません。)


何故、時間管理の問題に対して乗数効果を使うのでしょうか。


経済学における乗数効果とは、本書にもある通り”お金は使えば増える”といった経済現象において見られるものですから、それを時間管理に応用するのならば、それに対する論理的な説明をするべきだと思いました。


また、納期(時間)を守らせる―例えば夏休みの宿題を期限内に終わらせる―為にどうすべきか、という点で著者は、


これを防ぐ方法の1つには、開始日をコミットしてもらう、という方法があります。やり始めるまでグズグズして時間をロスする、ということを防ぐためです。また、開始日をコミットしてもらったら、その次には、何日後にできそうか、をコミットしてもらいます。これが実質的に締切日になります。


とありますが、人間に双曲的な傾向があることを考えると、これでは上手くいかないこともあるかもしれません。

おそらく開始日が来るまではその日から行うと決めていても、実際に開始日が来ると明日から…というように先延ばしにしてしまいます。

(これが前提だと思いますが)運良くコミットが実行されたとしても、大量にある夏休みの宿題を計画通りに進めることができるのでしょうか?


これに対して、現在の行動経済学で推奨されているのは、目標を小さく区分けする”段階アプローチ”と呼ばれるものです。

本章で提案されている方法と併せて、小さく区分けした目標の開始日と終了日をいくつもコミットするのがより良いと考えます。



今回の書評では批判的な部分を中心に述べましたが、読み物として面白かったですし、こういう本を読むことでアイデアが閃いたり、自身の精査の目を養うことができると思います。

何より息抜きに読む本としてはとても良かったです。

もし、本格的に学んだり、研究などに用いたいと考えるなら、その本が学者によって書かれたものなのかに注視する必要があります。


「この次は何を読もう」、と考えるのが読書の楽しみの1つだと思うのですが、考えると、厚い専門書を読んだ後に薄い簡単な本を読むのも、ある意味読書を楽しく続けるためのコミットメントなのかもしれません。
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