驚きの介護民俗学



最近赤ちゃんと触れ合う機会があったのですが、僕は最初赤ちゃんと一定の距離を置いていました。

それを見た赤ちゃんの母親が、「赤ちゃん苦手?」と聞いてきました。

僕は、「いや、赤ちゃんも初めて会った人間に警戒しているだろうし、赤ちゃんに対して失礼なので。」と、冗談のような回答をしました。

しかし、これは割と僕の本心です(赤ちゃんに対してそこまで厳密ではありませんが…)。


赤ちゃんと僕の関係は非対称的です。
赤ちゃんは僕が赤ちゃんに対して何かをすることから任意で逃れることができません。
赤ちゃんは僕に対して常に受動的であり、僕は赤ちゃんに対して常に能動的です。

仮に赤ちゃんが「こいつイヤだなあ、近づかないでよ」と思ったとしても、その願いは非対称的な関係性から自ずと叶いません。

つまり赤ちゃんに対する”あやし”や”遊び”といった行為には暴力性が内包されているのです。


そんなことを考えた僕は、赤ちゃんが僕に対して少し心を許すまでは―赤ちゃんに最低限の敬意を払い―、一定の距離を置いていたという訳です。


今回の書評では、このような非対称的な関係と敬意について考えさせられた本を紹介したいと思います。


六車由実『驚きの介護民俗学』医学書院、2012年。


民俗学者である著者が、老人ホームという介護の現場にフィールドを移し、その現場における民俗学的なアプローチの有効性についての深い洞察と鋭い自己分析を著しています。

介護の現場における民俗学的なアプローチが「介護民俗学」ということですが、それは主に”聞き書き”と呼ばれる民俗学の手法を用いることで実践されます。


聞き書きは、対話の中から調査対象者の言葉を聞き、書き留めることで民俗事象を捉えようとする。


認知症を患っている方でも、”聞き書き”によってその言葉に真摯に向き合うことで彼らと対話し、彼らの行動に対する深い理解を得ることができるといいます。


これまで介護の現場では、認知症の利用者の「心」や「気持ち」を察しようとはしていたが、語られる言葉を聞こうとはしてこなかったということなのだろうか。(中略)しかし民俗学における聞き書きのように、それにつきあう根気強さと偶然の展開を楽しむゆとりを持って、語られる言葉にしっかりと向き合えば、自ずとその人なりの文脈が見えてきて、散りばめられたたくさんの言葉が一本の糸に紡がれていき、そしてさらにはその人の人生や生きてきた歴史や社会を織りなす布が形作られていくように思う。


ここで非対称的な関係におかれているのが、介護される利用者と介護する職員ですが、介護現場における”聞き書き”(介護民俗学)は、その関係を一時的に非対称から解放し逆転させるダイナミズムであると著者は述べています。

つまり、日常的に受動的で劣位な「される側」にいる利用者が、「話してあげる」「教えてあげる」という能動的で優位な「してあげる側」になるということです。

反対に職員(著者)は、「教えを受ける側」になる訳ですから、そこには必然的に敬意が生じるはずです。


利用者と職員、赤ちゃんと僕、こういった非対称的な関係性は開発に関する文脈で多く登場します。
途上国と先進国、開発される側と開発する側、現地住民とNGO、これらの関係性においても相手に対する接し方が非常に重要だということが分かります。

非対称的な関係性においては、内包される暴力性から免れることは不可能です。

しかし、”驚き”と敬意を持った”聞き書き”が、相対的に力の弱い認知症の方のより豊かな生活を引き出すように、開発においても相手に対する接し方によって、相手(「される側」)に(良い)変化をもたらすことができます。


これからは赤ちゃんではなくて”赤さん”と呼ぶべきなのかもしれません…

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