鳥飼誠一の正義論



踊る大捜査線が好きです。


人気の高い作品なのでアンチという方もいると思いますが、今回改めてなぜ踊る大捜査線が好きなのか考えてみると、この作品は非常に示唆に富むセリフやシーンが多く、普通の刑事ものドラマとは異なった視点でも楽しめる点が挙げられます。


例えば、いかりや長介さん演じる和久さんの名言の1つに、「正しいことをしたかったら偉くなれ」というものがあります。

下っ端は上からの命令に従うことしかできない、ということを嘆いたセリフであって、ありきたりと言えばそうですが、現実社会の理不尽を如実に表現していると思います。

ドラマの場合は権力による強制ということですが、肩書きも”存在しない偉さ”を作り出します。

極端な話になりますが、大学教授とホームレスが全く同じ主張をしても、納得する人数の差に違いが現れます。

これは僕が東大の大学院を志望した理由の1つでもあります。
”東大生”というだけで、多くの人が(他の場合より)聞く耳を持ってくれるのです。お得です。


例を出したら切りがないので、本題に入りたいと思います。



踊る大捜査線の中で最も好きな登場人物が、小栗旬が演じる鳥飼誠一です。

劇場版の三作目から登場し、昨年公開された劇場版FINALでは警察官でありながら犯行グループの1人として悪事に手を染めてしまいます。


そんな鳥飼の正義に対する考え方に僕は非常に共感を抱きました。
(殺人に加担したり、犯罪者は皆死罪にすべき等、もちろんそこまで過激ではありませんが…)


鳥飼は過去に起きた事件によって、「絶対に悪を許さない」という信念の下に行動しています。

FINALでは、その矛先は自らの保身を優先する隠蔽体質の警察上層部に向けられます。
そして最後には、マスメディアに対して告発状を送ることで警察上層部の不正を暴き、自らも逮捕されるという結末を迎えます。


鳥飼は警察組織の中にありながら、全く機能していない警察組織というシステム(そしてそれを変えることが出来ない政治に対しても)に絶望しています。


鳥飼の考える通り、警察組織に限らず世の中には明らかな不正義が溢れています。

なかなか知る機会もないと思いますが、お寺も”宗派”(大きく考えれば日本仏教)という組織に属しています。
一般の方が考えるより組織的で、権力構造も伝統や宗教という影に隠れて強力です。

おそらくどの社会にも、強権的で明らかな不正義があるのだと思いますが、だからと言ってそれは不正義が存在して良い理由にはなりません。

特に、鳥飼の属する警察や善事を心がける仏教においては、本来的に不正義があってはならないはずです。


自分自身がそれらの組織に属することで、明らかな不正義は慣習化し、それを防ぐルールも形骸化してしまうのではないでしょうか。
また、組織に属するということは権力構造の一部に組み込まれるということなので、それが仕事で生活に関わっていようものなら、上層部の命令は絶対ということになります。


仮に反発したとしても、出る杭は打たれるというように、それこそ明らかな不正義によって潰されてしまいます。

それが分かっていた鳥飼は、ある程度の地位まで出世した後に行動を起こしたのだと思います。

鳥飼が犯した罪は決して許されることではありませんが、鳥飼が考えていたことには共感できます。
優秀な鳥飼はそのまま口を噤んでいれば、将来的には上層部の一員になっていたかもしれません。
しかし、鳥飼は自らの心に嘘はつけなかったのです。



独裁国家のような性質が先進国の組織の中にも存在するとすれば、殺人を教唆した黒幕の鳥飼は、コンテクストを変えれば、殺人を教唆したが政治体制を変えたヒーローという風にも考えられます。

ちなみに、鳥飼と同じ手段では、独裁国家においては組織の体制を変えることはできません。なぜなら言論の自由、自由なメディア活動が制限されているからです。


踊る大捜査線は、民主主義におけるマスメディアの役割の重要性まで教えてくれるのです。

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